45年前の黒い霧事件と西武ライオンズ誕生のいきさつ

読売ジャイアンツの投手が4名、野球賭博に係わっていた。
報道で時々語られる「黒い霧事件」というものがある。およそ45年ほど前に起きたこの事件は、現在の埼玉西武ライオンズの誕生につながっていった。

1969年中のペナントレースで、当時の西鉄ライオンズの試合において「八百長試合」があった疑いが出て来た。
当該球団やコミッショナーの調査がつづき、様々な野球協約違反事案は他の球団からも表面化し、全容の判明は1971年にまで至った。

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何らかの処分を受けた選手は19名に及び各球団別の処分者は以下の通りとなった。

  • 西鉄ライオンズ 7名
  • 東映フライヤーズ 2名
  • 南海ホークス 2名
  • ロッテオリオンズ 1名
  • 阪神タイガース 2名
  • 大洋ホェールズ 2名
  • 中日ドラゴンズ 2名
  • ヤクルトアトムズ 1名

*球団名は当時のもの

7名もの主力選手のうち4名が永久追放となり、2名は1年間の野球活動禁止処分を受けた。この為、西鉄ライオンズの戦力は激減し1970年から3年間、最下位という成績であり球団経営がひっ迫することとなったのだ。

西鉄は球団の売却を決断し、当時のロッテオリオンズのオーナーであった中村長芳氏が奔走したが、うまくいかず、1972年シーズン終了後に、レジャー企業であった太平洋クラブをメインスポンサーとして中村氏が自ら引き受け「太平洋クラブライオンズ」となった。
しかし、その後太平洋クラブの経営状況が悪化し、クラウンガスライターがメインのスポンサーに変更となり、球団名を「クラウンライターライオンズ」と名乗ることになった。

こうして度重なるスポンサーの変更にも拘わらず経営状態は改善せず、1978年10月ついに中村オーナーは西武グループの中核であった国土計画に売却することを決断した。こうして埼玉西武ライオンズが誕生したのである。

現役選手が行った愚かな行為が、球団そのものを葬り去ってしまうほどの影響をもつものである。
ジャイアンツは今シーズンどんな戦い方を見せるのであろう。

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