織田信長を襲った明智光秀の本当の理由

岡田准一の黒田官兵衛 視聴率があまり伸びないそうだが、毎週楽しみにしている。

さて、三重大学歴史都市研究センター長の藤田達夫教授が2010年に著した『信長革命』という本がある。

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織田信長は近世日本を形成した最初の中心人物であり、豊臣秀吉、徳川家康にその権勢が引き継がれ、近代日本につながる江戸260年の安定期を生みだした功労者である。
信長の出現により、応仁の乱につづく戦国時代100年の歴史に終止符を打ったのである。

戦国時代の覇者であり、天下布武を実現させたヒーローである。
というのが、これまでの信長のイメージだったが、戦国時代という一大絵巻物に表れる様々なヒーロー達、斎藤道三、今川義元、武田信玄、上杉謙信、北条氏康・氏政、浅井長政、朝倉義景、毛利元就、長曾我部元親、島津義久、等々、しかしこれらの戦国大名と言われる武将たちとは一線を画すものが信長にはあった。

それは世界観である。

信長が主役として顕れた時、世界は大航海時代のピークにあたる。
ポルトガルとスペインによる地球規模の侵略が始まり、やがてヨーロッパ各国もこれに倣って植民地政策を推し進めるようになった。

当然のごとく日本に対しても圧力がかかってきた。
この圧力と同様のものが300年後に再び日本を襲うわけだが。

明治維新は事実上の革命であった。
外圧に対抗しうる中央集権国家を形成するのに成功した。

信長が目差したものも同様である。

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戦国大名が群雄割拠するという内乱状態を終焉させ、兵農分離による常備軍を創設し、国内経済の活性化を図り、預治思想に基づく公武合体政権を安土に樹立しようとした。

しかしその途上、信長の構想に反旗を翻す者が現れた。
言うまでもなく明智光秀である。

光秀の目には信長の目差すものは、朝廷を軽視し足利幕府を否定し、代々伝わってきた武家の土着権力さえも否定するものと映った。
つまり本能寺の変は、光秀が起こした反革命であったと捉えられる。

この本には、このようにこれまでの信長像を一新させる説が展開されている。

この書籍のレビューをひとつ紹介する。
この書を読み終えた時に誰もが感じることだと思う。

積読でしたが、ようやく通勤で読破。明智光秀の謀反(クーデター)は、政権論で論ずべき、との著者の丹念な検証に納得。『センゴク天正記』でなんとなく描かれている光秀vs秀吉の派閥抗争が、活字となって論じられていることに驚きました。

本能寺の変

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