「ベッキーの謝罪会見」の私見を読んだ私見~プロが存在しない現代

エッセイストの遙洋子氏が日経ビジネスに寄稿した『「ベッキーの謝罪会見」の私見』、テレビに映し出された会見の模様を見ていて、なんだか分からない違和感を覚えていたが、この記事を読んでなるほどと合点がいくような気がした。

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脇の甘さは今や芸能界だけでない、政界の方がもっとひどい。いや政界もそうだが実業(ビジネス)の世界でも脇の甘さがはびこっている。

14名の死者を出したツアーバス。バス会社の社長はバスが出発する時の点呼に遅刻したが、印鑑だけは押してあったという。
運行管理が形骸化していたという何よりの表れだ。

形骸化といえば、例の杭データの改竄も同様だ。書類が無ければ役所の検査が通らない。逆に言うと書類さえあればデータの真偽はどうでもいいという建築行政がつづいていたことが、あのような結果を招いたのである。

目の前の火の粉だけ振り払えればよしとする謝罪会見を強いた芸能プロの構図は、社会を舐めきっている感覚が露呈したものだ。
そういう意味では芸能プロは真のプロフェッショナルではない。

プロとは言えない政治家、プロとは認められない会社経営者、日本にいつからプロがいなくなったのだろう。

サンドウィッチマンの漫才「謝罪会見」

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