パラオのジャンヌダルクは実在したのか

4月上旬、両陛下がパラオ共和国を訪問される。
10年前の2005年にもご訪問が計画されたが、その時は環境が整備されず、戦後70年となる今年ようやく実現されることとなった。

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パラオ共和国は、かつてドイツの植民地であったが、第一次世界大戦後から日本がおよそ30年間に渡り委任統治した地であり、多くの日本人が生活をしていた。
その為、日本との縁は深く、アメリカによる統治から独立しパラオ共和国が生まれた際には、国旗は日の丸と色違いの「青地に黄色の円」となっている。

太平洋戦争当時パラオ諸島には各地に日本海軍の施設があった。1944年、アメリカ軍の攻勢が激しくなった頃には、パラオにも上陸部隊が押寄せペリリュー島では激戦が繰り広げられた。

約1万名の日本守備隊に対し、上陸したアメリカ軍部隊は5万名近い大部隊であった。
およそ2ヵ月間の戦いであったが、日本守備隊のほとんどが戦死した。
遺骨収集は戦後まもなく開始されたが、今現在もまだ1/4が残されており、両陛下の訪問を控えて収集作業を急いでいるとのことだ。

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パラオのジャンヌダルクという伝説がある。

日本軍と共に戦った女性の話である。
機関銃を乱射してアメリカ兵86名を死傷させ、最後はみごとな戦死を遂げたというものだ。

この話しの真偽ははっきりしない、なんとwikiでは都市伝説とまで記されている。
しかし、中川連隊はパラオの人々を救うため、ペリリュー島から島民をパラオ本島に避難させ、最後は日本人だけが戦い玉砕したという事実は本当だったようだ。

ある老人が若い頃日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言したが「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂され、見せ掛けの友情だったのかと失意の中島を離れる船に乗り込んだ。が、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。老人はその時、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったと悟ったという。

引用 ⇒ ペリリュー島【大東亜戦争遺跡】

ザ・パシフィック ペリリュー戦闘シーン

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