パナマ運河の建設に携わったたったひとりの日本人 青山士とは

日本土木工業協会のサイトのとあるページに次のような文章がある。

現代は、神なき時代である。何を信じて生きればよいのか、何に救いを求めればよいのか、途方にくれる時代である。だからこそいま、青山のような生き方が、とりわけ輝きを放つのだろうか。

「青山」とは、荒川放水路の建設工事や信濃川大河津分水路の改修工事を担当した土木技術者、青山士(あおやま あきら)氏のことである。

一般にはあまり知られていないが、土木の世界では有名な人であり、敬虔なクリスチャンであった氏の生き方そのものがリスペクトされている人物である。

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青山士は、東京帝国大学土木工学科を卒業後渡米し、1903年から再開された「パナマ運河」建設工事に測量技師として加わり、7年半後、やむをえぬ事情により運河の完成を見ることなく帰国した。
その後、24年間内務省に奉職し技監にまで昇進したが、これまたやむをえぬ事情で退官し、以後は土木行政の顧問としての職務に就き、清貧な生活に甘んじながらも、土木技術者としての魂を貫き通した人物であった。

青山の逸話として残る最も有名な話が、パナマ運河破壊作戦に関することである。

これは第2次世界大戦中のことであるが、ドイツの劣勢が確実となった頃、大西洋上に展開するアメリカ海軍艦艇がやがては太平洋に展開し、日本に対する攻撃力増大の恐れがあった。
そこで、日本帝国海軍内ではパナマ運河を破壊する作戦が持ち上がったという。

パナマ運河破壊作戦に使用する潜水艦が建造されたが、この潜水艦は伊四〇〇型潜水艦と呼ばれ、攻撃機を3機搭載できる巨大なもので、潜水空母とも呼ばれた。
日本が開発した潜水空母のコンセプトは、後に弾道ミサイル発射能力を持つアメリカ海軍の潜水艦に引き継がれていったという。

しかし、パナマ運河破壊作戦は実行されることなく終戦を迎えた。そして、運河の破壊を効果的に行うための助言を求められた青山は『私は造ることは知っているが壊し方は知らない』と答えたというエピソードが残されている。

パナマ運河クルーズ16「ガツン閘門を行く」

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