リゾート法により生まれバブルとともにはじけたトマムを最後に救った星野佳路という男

北海道の中央部、特別豪雪地帯に指定されている小さな村がある。人口1,215人(2014年9月現在)の占冠村である。
盆地の為、夏冬の気温差が激しい。これまでの最高気温の記録は33.8℃であり、最低気温の記録は-35.8℃とされており、その気温差は約70℃となる。

農業や林業が主産業であったこの村が大きく変貌することになったのは1981年のことだ。
国鉄石勝線(後のJR北海道石勝線)が開通し、占冠駅と石勝高原駅(現トマム駅)に特急が停車することになった。

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村の北東部、南富良野町との堺に、標高 1,239mのトマム山がある。
なだらかな稜線がつづく美しい山だ。この山を中心にリゾート開発が計画され、1983年にスキー場とホテルが建設された。
開発の勢いはさらにつづき、超高層ホテルや会員権発行によって資金調達を行い運営する会員制のコンドミニアムなどが建設された。このような大規模開発の後押しをしたのが「総合保養地域整備法」通称:リゾート法 である。

リゾート法とは1987年に制定された法律であり、都道府県が策定し国の承認を得たリゾート計画に対して、規制緩和や税制優遇そして金融支援まで行うという、国をあげてのリゾート開発を企画したものであった。

この法律によって支援を受けた企業体のほとんどは、不動産資本や投資資本がバックボーンであり、リゾート開発の最大の目的が投資であったことが、後にバブルが崩壊し各地の大規模リゾートのうち経営破たんに陥るものや、計画構想が廃止されるものが続出することとなった。

リゾート法の制定は観光業界にも変化を与えることになった。

街の小さな商店街が大規模商業施設の進出によりシャッター街に変貌するように、既存の観光施設や老舗旅館などは、新たに生まれる大規模リゾート施設との競争に否応なく巻き込まれることとなった。

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リゾート法によって日本各地に大規模リゾートが開発され始めた頃、軽井沢にある一軒の温泉ホテルがあった。老舗の温泉旅館である。開業は1914年であり、当時は「明星館」と言い、与謝野鉄幹・晶子夫妻が名付けたという。

リゾート法制定の4年後となる1991年に、この温泉旅館の5代目となる星野佳路がアメリカから戻ってきた。

星野が取り組んだのが、大規模リゾートが次々と開発されるリゾートブームの中で、いかに5代続く家業の星野温泉を継続させるかということであった。
そして星野温泉の再生はもちろんのこと、再生を託された各地の老舗旅館の立て直しに力を発揮し、2003年に国土交通省から「観光カリスマ」として選定された。
参照 ⇒ 観光カリスマ一覧

そしてその年、バブル崩壊と北海道拓殖銀行破たんにより経営破たんしていたトマムリゾートは、その再建を星野佳路に委ねることになった。

リゾート・観光業界で、星野の力は誰もが認めるところとなっている。では、何故、彼にそれほどの力があるのだろう。

星野佳路に関する情報は極めて少ない。自ら著作を公にすることも無いので、その経営理念であるとか、思想を窺い知る術は無い。インターネット上の情報も極めて少ない。そんな中で、星野佳路が経営上もっとも大切にしているであろう考え方が披露されているものがあった。

作家 村上龍との対談が日本経済新聞出版社の「カンブリア宮殿」に掲載されている。そこで彼は語っている『社員を満足させれば、お客様を満足させてくれる』。

こんな考え方を、うなずいて聞くことができる経営者は日本に何人いるだろう?

【星野リゾート トマム】雲海テラス

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