榎本武揚を演じた片岡愛之助の才能

昨年の半沢直樹での黒崎駿一役ですっかり人気者となった歌舞伎俳優 片岡愛之助。
テレビドラマへの出演は、1979年の子役時代のNHK銀河テレビ小説『欲しがりません勝つまでは』が最初だという。

その後、歌舞伎の世界に入り片岡秀太郎の養子となり、愛之助の名跡を継いだのが1993年である。
その前後に3本ほどドラマ出演をしているが、大役を演じたのが2006年の正月時代劇(NHK)『新選組!! 土方歳三 最期の一日』での榎本武揚役である。

ビデオがYouTubeにあった。40分あたりで出てくる愛之助、そういうと見覚えがある。

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片岡愛之助は、元々は片岡家の人間ではない。本名は山元寛之と云い、堺市で船のプロペラ製造を行う町工場の家に生まれた。
幸いにも、理解のある両親に恵まれ、山元寛之は家業を継ぐことなく歌舞伎の世界へと入ることができた。
父の利光は、高校時代に映画のニューフェイスに合格したことがあったそうで、そのことも愛之助への道を拓いた因縁だろう。

六代目片岡愛之助に関して、ネット上にいくつか参考になるものがあるが、

が詳しい。

さて、片岡愛之助が演じた榎本武揚について少し触れよう。

榎本武揚は旧幕臣であり、戊辰戦争では幕府海軍を率い最後まで新政府軍に抵抗した一人である。

江戸城の無血開城後は仙台を経由して、土方歳三と共に最後の決戦の地『函館五稜郭』に入城し函館戦争を戦い敗れ降伏した。

榎本のこれまでの地位や行動からは、重い処罰を受けるのが当然であったが、その非凡な才能を惜しみ、後に北海道開拓使次官となる黒田清隆や福沢諭吉の尽力により助命され、北海道の鉱山開発に係わることとなった。

さてところで、榎本の才とはいったいなんだったのか。

軍人としての才だったのか、官僚としての才だったのか、よく分からないのである。
例えば 榎本武揚 – Wikipedia には

明治5年(1872年)1月6日、榎本は特赦出獄、その才能を買われて新政府に登用された。

と記されているだけである。

一命を助けるほどの才とは・・・・・・

榎本は地質学の専門家であったそうだ。こんな記事があった ⇒ 蝦夷地質学の伍(5)榎本武揚

なるほど、これなら納得できそうだ。

新選組!! 土方歳三最期の一日(役:山本耕史)

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