半沢直樹が見た日本経済 復活の兆し

半沢直樹が現役だった頃の日本経済、バブル経済とその崩壊の兆しが顕れ始める。その後、失われた10年とか20年とか言われるようになるスタートの頃にあたる。

半沢が三菱銀行に入行したのは、いわゆるバブル景気が始まって2年後ぐらい、まさにバブル経済の絶頂期である。

半沢の話をする前のに当時の状況を振り返ってみよう。

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バブル景気が始まったのは1986年12月頃と言われる
半沢の入行は1988年、元号が昭和から平成に変わり、日本国中が好景気に浮かれていた。

銀行は金を必要としていない企業にまで資金を貸し付け、使い道に困った企業は不動産投資に走る。土地価格はうなぎ上りとなり『土地は必ず上がる』という土地神話が生まれた。

バブル景気が起こった原因にはいくつかあると言われているが、大きな要因が1985年9月のプラザ合意とみられている。
貿易赤字と財政赤字が大きくなる『双子の赤字』に苦しんでいたアメリカが、先進5ヵ国によるG5においてドル安を協調的に図ることを合意した。
その為、日本経済は急激な円高となり輸出産業が大きな打撃を受けることになった。その影響は中小零細企業にまで及びいわゆる『円高不況』が始まった。

この状況を改善する政策として、時の中曽根政権は内需拡大政策をとった。

安い金利や大都市圏の土地規制緩和に加え、電電公社や国鉄の民営化など民間活力の高まりなどが相乗効果を生み、投資熱が沸騰し、円高不況が解消され、バブル景気のピークを迎えることになった。

上がりすぎた不動産価格や株価、なんでも過ぎたるは・・・・・ということわざもある。

そしてやがてバブルは崩壊する。
バブルの崩壊は『銀行はつぶれない』という神話さえも吹き飛ばしてしまった。

北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行といった都市銀行や長期信用銀行が経営破たんし、多くの銀行には公的資金という名の国民の税金が、銀行救済のためにつぎ込まれることになった。

税金の投入は銀行の再編という副作用を生み、やがてメガバンクといわれる巨大金融機関が生まれることになった。

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半沢が入行した三菱銀行は1996年に東京銀行と合併し、2006年には、三和銀行と東海銀行が合併して生まれたUFJ銀行を吸収し現在の三菱東京UFJ銀行となった。

半沢の活躍が舞台となった頃というのは、公的資金の注入と銀行の体力強化のための再編が進み、自分の銀行がいつ無くなってもおかしくないという状況であり、銀行界が修羅場の中で生き残りを掛け、強い者が弱い者を飲み込む弱肉強食の戦いを繰り広げていた時期である。
その弱肉強食の論理は銀行内部にも浸透し、弱い者、実績の上げられない者、存在感の無い者、こういった者が社内ではつまはじきに会い、リストラという言葉が生まれたのもこの頃である。

半沢直樹

こうして日本経済は長いトンネルの中に入ってしまい、今もなお出口が見えるようで見えない苦しみの中にいる。

日本経済の復活は、倍返しは、いつになるのか?
そして、半沢直樹の続編はあるのか・・・・・?

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