沖縄の基地問題はいつ解決するのだろう

11月に行われる沖縄県知事選では、地元自民党県連は「反辺野古」を掲げる翁長雄志那覇市長に立候補を要請するという。
当然ながら、自民党本部は「辺野古推進」なので、分裂選挙となるわけだ。

自民党本部の方針に無視して地元支部が、地元優先の政策を掲げ選挙を戦う。
自民党の選挙ではたまに見る光景だが、沖縄の場合は若干様子が違うらしい。

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自民党沖縄県連は、その起源を戦後まもなく生まれた地元政党である「琉球民主党」に求めることが出来る。

「琉球民主党」は1952年に結成されたが、当時の沖縄はアメリカの統治下にあった。
アメリカは占領下での沖縄の行政を「琉球政府」なる組織体に委ね、直接的な統治をカムフラージュするスタイルをとった。
「琉球民主党」は琉球政府の与党であったが、政治基盤が不安定な状態であった。1959年に保守系の勢力が合同して「沖縄自由民主党」が結成され、1972年の沖縄返還まで、本土の自由民主党と連携を取りながら、琉球民主党は保守政党としてアメリカとの協調路線を進めてきた。そして1970年に「自由民主党沖縄県支部連合会」として、発展的解消をしたという歴史がある。

つまり、自民党の他の都道府県支部連合会とは違い、沖縄の特殊性というものを考えないと理解できない部分がある。

太平洋戦争の最後の戦場となり、敗戦の後は米軍の占領・統治という、本土とは異なる政治的環境下で育ってきた沖縄県民意識というものが底流にある。

政権与党自民党の支部と云えども、基地問題については党本部の方針には従えない。
それは沖縄県民意識を持つ議員であり、沖縄県民意識を理解する党員だからである。

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戦後まもなく70年になろうとしている。
70年というと二世代と言ってもいい時間だ。この時間を費やして日本は何を学んだのだろう。

学んだことは大したものではない。
人間社会は理屈や理念では変化しない。生活感に裏付けされた、その時代その時代を生きている人々の感情や考え方によって動いて行くということだ。

沖縄基地問題

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